荒い呼吸、猛々しい咆哮、昂ぶる闘志が遥か高い蒼穹をも貫かんと息巻く。疾く鋭い剣戟の音、個々の能力を最大限に生かす陣形、得物を振るう背に宿る揺るぎなき決意。いずれ劣らぬ錚々たる顔触れを統率する立場にある忍人の理想が体現されたそれら。ここに至るまでに吸収した敵兵、鄙にも聞こえる龍の姫の名の元に集った農夫上がりの新参兵に比べれば、歴戦を共に勝ち抜いた同胞の動きがより忍人の思い描く戦さの形に沿うのは道理だ。
 以後の練兵に思いを馳せる。頭数が増えれば有利になるというものでもない。
 中つ国の軍規を叩き込み、彼等が一個の部隊として使い物になるまでの期間を考慮に入れる。ただしあくまで楽観的な見通しに過ぎない。特に新兵は厄介だ、いざ前線に送り込むと立ち往生する者が後を断たない。先遣隊が手間取ればその分だけ、後続部隊に身を潜めた二ノ姫の危険が増す。姫の安全を脅かす要素は、いかに些末なものであれ、徹底的に排除しなくてはならない。露払いにまず戦力を割く必要があるだろう。そこまで考えた忍人は、練兵場の中央を見やって目を細めた。
 日に焼けた兵卒の黒褐色の頭髪と、狗奴の戦士が誇る屈強な体躯の中に混じって、今日は豊葦原では稀なるこがねの髪が揺れていた。
 二ノ姫が刄のない模擬刀を構え、兵のひとりに型の教えを請うているのだ。
 折り入って頼みがあると言うから何かと思えば、私も訓練に加えて欲しいんですと訴えられた時、忍人は己が耳を疑った。これが単なる王族の気まぐれであったなら、忍人も鼻で一笑し即座に提案を却下しただろう。王は象徴だ。常に後方に控え人を束ねる。その道を切り開くのは戦士の領分であり、互いは不可侵であると忍人は考える。二ノ姫の要請はそんな忍人の信条と真っ向から対立するものだと言うのに、「俺の軍には君が貴人だからと言って手心を加える者はいない。何があっても途中で音を上げないと誓えるなら、従軍を許可しよう」という破格の条件が口をついたのは、「同じ目線で見なければ、気づけないこともあります」そう忍人を仰ぐ二ノ姫の表情があまりに真摯なものであったからだ。
 二ノ姫は戦さに不似合いな白い肌に細い手足を持つおとなしやかな少女であるが、曇りのない碧い瞳は時として忍人をも凌ぐ強固な意思を覗かせる。彼女には貴賤を問わず数多の人を惹きつける、引力にも似た力がある。あるいは王の血の為せる業なのか。忍人もまた、抗い難い力に傾きつつある人間のひとりだった。
 陽が沈み始めると兵士たちは、喉を潤し体に付着した汚泥を濯ごうと川縁に向けて移動を始める。一様に疲れ果てた顔の群衆が通り過ぎても、二ノ姫はまだ模擬刀を離さない。
「姫、今日はここまでだ」
 怪訝に思いそば近くまで歩み寄った忍人が声を掛けると、二ノ姫は疲労の色を隠せない顔に不安げな表情を重ねた。ほっそりとしたおもてに、毒々しいまでに赤い斜陽が濃い影を落とす。
「ごめんなさい忍人さん。私、刀がこんなに重いなんて知らなくて」
「刄が無くとも、真剣と同じ重量で拵えてある。模擬刀すら満足に扱えないようでは、とても実戦になど出せないからな」
「あの…そうではなくて。みんなは、忍人さんもこれで常世の兵を斬るんですよね」
 眉をひそめ、「人の命はこれよりずっと重いんだと思うと…」とおずおずと口にする様子を見て、ようやく得心がいった。鉄のにおいを孕んだ風に浮き上がった髪を、耳の後ろに撫で付ける。
「二ノ姫。背負う覚悟を持たずに刄を振るう者はいない。まして俺たちが身を置くのは、国の行く末を問う戦さだ」
 血糊の海を渡り、かつて人だったものの肉片を払い、焼け焦げた骨を踏みしだいたその果てに、平穏を望む矛盾を誰もが知っている。
「わかってます。でも私にもう少し力があれば、みんなに…忍人さんに掛かる負担を減らせたかもしれない。血を流さずに済んだ人だって、きっとたくさん」
「君が居なければより多くの人間が血を流し、常世の圧政に喘いだ。現に今、この軍にも君の尽力で命を救われた者は少なからず存在する」
「………」
 模擬刀を下ろし、俯いた二ノ姫の肩は間近で見ると改めて頼りない細さを思い知らされる。血生臭い戦さとは縁遠い異世界に育った少女が、滅びに瀕した祖国を背負わされた負担はいかほどだろう。一国の重みは、忍人が抱えてきたものとは似て非なる苦痛を少女にもたらしているに違いなかった。
「多くを望むのは結構だが、度を越せば傲慢になる。君は君に出来ることを為せばいい」
 ひとつ息を吸う。次の言葉を続けるには、剣を取る以上の決意が要った。
「必要とあらば、俺は助力を惜しまない」
 二ノ姫は驚いた風に目を見開く。もともと大きな目をしているから、こうなると顔の上半分は目で出来ているような有り様になってしまう。忍人はその表情が嫌いではなかった。
「ありがとうございます」
 ひかりを受けて淡く輝くこがねの髪と、瑠璃を思わせる碧い光彩は異端の証だと聞く。
 これほど美しい取り合わせを、なぜ先人が恐れたのか分からない。二ノ姫と共に歩んでゆく日々の中で理解することはまず無いだろうし、あえて理解したいとも思わない。
「今まで忍人さんが背負ってきたものを、これからは私も背負いたい。どうか私と一緒に戦って下さい。誰も血を流すことのない、中つ国を取り戻す為に」
 差し伸べられた手に視線が吸い寄せられる。我が身を慈しみ、安全な場所でひとり戦果を待つなど考えつきもしないのだろう。刀でこそないが、二ノ姫は神弓を手に自ら道を拓いてゆく。ともすれば忍人さえ置き去りにしかねない速度で。
 忍人の信条を根底から覆そうとする少女に、それでも勝利を捧げたいと願って止まない。これは王に連なる血の力なのか、それとも。
 偽りを知らないひた向きなまなざしに、忍人は堪えきれぬ笑みを佩いた唇で応えた。
「仰せのままに、と言うべきなのだろうな」




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